霊験あらたかとは

誕生日からちょうど半年過ぎた記念日に、少し前に知り合いから聞いた修験者のお寺?だか神社?だかに出向きました。

4月に温泉旅行に母と行った際に、食堂やロビーにて小さな男の子が見えた、っていうのが始まりなんですが、
この時の話を昼休みにある人にしたところ、「○○さん」のところに行ったほうがいい”との話を聞いて、場所を調べて行ったわけです。

母の病気の事とも関連して一人で埼玉の山に行きました、電車で2時間はかかる場所で、駅からタクシーが出ていますので5分程度で現地に到着、道路を隔てて左右に鳥居があるので、どっちが?受付が分からないので駐車場から歩いて来た男性に聞いて来た道路から右側から入りました。

さて、受付票をもらい、塔婆供養に8本用意され隣の和室広場で住所と名前を自ら書きます。人の人数も増え始め、座る場所もギュウギュウ詰め状態です。なぜかって塔婆を書く長テーブルが2列置いてあるからです。

書き終えて受付で塔婆代と祈願の紙の御代金を払い、さらに同じ和室で待つこと約一時間、11時過ぎごろでしょうか、先生”が現れます。
説法が始ります、信者さんは「はい!」と大きな声で受け応えしています、返事をしないといけないようです。

そしてその場所で一人ひとり受付の順番で呼ばれて1分程受付表に書いた内容について質問され(病気の内容、障りが起きた時期、何年に起きたか?だけです)
またさらに上の本堂にて待ってください、という事で12時過ぎたので、本堂で座った人たちの中ではおにぎり食べて待ったりする方もいました。

その後は省きますが、全てが終わった後、今日初めての方だけ右側にて待機します、それで私の時は「出身はどこ?」「川と土手、水神様、弁天様、稲荷」と言われました、
弁天様なら公園にあります、と言うと、先生は何も答えず「また今度」と話を終わりました、
率直な感想ですが、私に的確な答えは見つかりません、ゆえに現在の状況からの打開も、指針も何も感じられなかった、という結果です。
何が正しくて、間違いは何なのかを探してもそこに答えはないという事です。

要するに私は死ぬほど困っていないのです、だからこそもう少し努力をして、自ら答えを見つけ出すべきなのです。・・・ってことかな。



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